わが家のジェンダーギャップ探索座談会すれちがい考察編

わが家のジェンダーギャップ探索座談会[すれちがい考察編]

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2026.09.24

女性編と男性編、2つの座談会を並べてみると、少し不思議なことに気づきました。
同じように家事を分担し、同じ家庭のことを話しているはずなのに、見えている景色が違う。
しかも、どちらかが相手を責めているわけではありません。
むしろ、お互いに気を遣い、できるだけうまくやろうとしている。
それでも、すれちがう。
なぜなのでしょう。
2つの座談会で語られた言葉を見比べながら、その理由を探してみると、3つの「すれちがい」が見えてきました。

※記事中の動物名は、座談会に参加してくださったみなさんの仮のお名前です。

1, 同じ家事分担なのに、
「持たされている」と「譲っている」

女性編では、こんな言葉がありました。

<座談会の声>
家事をする割合でいえば5対5に近いはずなんですけど、主導権は女性が持っていて、男の人の「手伝う幅」が増えた、みたいなイメージです。把握しているのも、割り振っているのも、こっちなので。(コアラさん)

一方、男性編では、こんな言葉が出てきます。

<座談会の声>
こだわりがあるところは完全に、じゃあ自分でやりなさいと伝えて、それ以外を僕がやっています。(シマウマさん)
<座談会の声>
ちゃんと調べて考えを持っている人がいるなら、そちらに合わせた方が喧嘩にならない。(ペンギンさん)

ここには、同じ状態に「2つの名前」がついているようにも見えます。
女性側から見れば「主導権を持たされている」
男性側から見れば「主導権を譲っている」
どちらかが間違っているわけではありません。

家事そのものは5対5で分担できていたとしても、「何をするか考える」「家全体の状況を把握する」「必要なことを誰かに頼む」といった“決める仕事”は、どちらか一方に残っていることがあります。
そして、ここにはもうひとつの違いがあります。
主導権を「譲った側」にとっては、一度の判断かもしれません。
けれど「任された側」は、そのあとも毎日のように判断を続けていかなければなりません。
手を動かす量が同じでも、「考え続ける量」までは同じとは限らないのです。

さらに興味深いのは、「任せている」という気持ちそのものが、相手に伝えられていないこと。
男性編で「任せているよ、と妻に言ったことはありますか?」と聞かれたタヌキさんは、こう答えました。

<座談会の声>
たぶん、言わないですね。(タヌキさん)

「任せてもらっている」と感じている人と、「任されてしまっている」と感じている人。
同じ家庭の中で、そんな見え方の違いが起きているのかもしれません。


2,「喧嘩したくない」と
「喧嘩したから変われた」

女性編では、「不満をどう伝えるか」という話が何度も出てきました。

<座談会の声>
お願いする時って、我慢をし続けて、限界を超えてから言うんですよね。だからわが家は「レベル5になる前にお伝えしておきます」と。(フクロウさん)
<座談会の声>
溜まっている途中は、自分でも気づいていないんです。(キツネさん)

爆発するまで我慢しない。
小さいうちに言葉にする。
共有アプリに「疲れました」と書いておく。

そこには、できるだけ大きな衝突を起こさず、関係をうまく続けるためのさまざまな工夫がありました。
ところが男性編では、少し違う言葉が出てきます。

<座談会の声>
いや、平和的な手段はないです。完全に喧嘩がきっかけですね。(ハリネズミさん)
<座談会の声>
もう幾度となく喧嘩をして、その都度修正しながら、ここ2〜3年で今の形に落ち着きました。(シマウマさん)

今回の座談会だけを見れば、女性側では「大きな喧嘩を起こさないための工夫」が語られ、男性側では「喧嘩したからこそ関係が変わった」という経験が語られていました。

ここにも、少し不思議なすれちがいがあります。
衝突を上手に避ければ、家庭は穏やかになります。
でも、何も表面化しなければ、相手は「今のままで問題ない」と思ってしまうかもしれません。

だからといって、大喧嘩をすればいいわけでもありません。
その意味で、フクロウさんの「レベル5になる前に伝える」という方法は、とても興味深いものでした。
爆発するほど溜めない。でも、なかったことにもしない。
小さな違和感を、小さなうちに相手へ渡していく。

それは、「衝突をなくす」のではなく、「壊れない大きさでちゃんとぶつかる」方法ともいえそうです。
そして、この「溜めてから気づく」という感覚は女性だけのものでもありませんでした。
男性編でも、その場では言葉にできず、あとから自分の気持ちに気づくという話が出ています。

男女の違いというよりも、私たちはそもそも、自分のモヤモヤをその場ですぐ言葉にできるとは限らない。
そのこと自体が、すれちがいを生むひとつの理由なのかもしれません。


3,「ありがとうを伝える側」と
「ありがとうを待っている側」

そして、もうひとつ印象的だったのが「感謝」の話です。
女性編ではこんなエピソードがありました。

<座談会の声>
先輩から「子育てと一緒だよ。やってくれたことに感謝して、気になっても目をつぶった方がいい」と教わって、そうしています。(キツネさん)

一方、男性編ではこんな言葉が出ました。

<座談会の声>
これ、妻から褒められたらもっと頑張れるんやろうなと思いながら聞いていて。感謝は声に出して相手に届けるべきだなと、育休中に痛感しました。(ペンギンさん)

一方では「相手がやってくれたことに感謝する」という工夫が語られ、もう一方では「感謝してもらえたら、もっと頑張れる」という気持ちが語られている。

もちろん、これは男女すべてに当てはまる話ではありません。
ただ今回の2つの座談会を並べたとき、「感謝することを求められる側」と「感謝されることを求めている側」が、少しずれて見えたのは確かです。

では、日々当たり前のように家事や育児をしている人には、誰が「ありがとう」と言うのでしょう。
同じ皿を洗っても、「男性がやった家事」は周囲から褒められやすく、「女性がやった家事」は当たり前として受け取られやすい。

もしそんな違いがあるのだとすれば、家庭の中だけでなく、親世代や地域、社会のまなざしもまた、家庭の役割分担に影響を与えているのかもしれません。
でも、感謝の流れを変えるヒントも、すでに座談会の中にありました。
シマウマさんの家庭では、誰がつくった食事でも、家族全員が毎日「いただきます」「美味しかった」と言うそうです。

誰か一人だけが感謝するのでもなく、誰か一人だけが褒められるのでもない。
感謝を一方向で止めない。
家庭の中をぐるりと巡るものにする。
それだけでも、見える景色は少し変わるのかもしれません。

3つのすれちがいに共通していたのは、“まだ言葉になっていないこと”。

3つの場面を並べてみると、共通していることがあります。

「任せている」という気持ちを、言っていない。
「そろそろしんどい」という気持ちを、まだ言っていない。
「ありがとう」という気持ちを、言葉にしていない。

すれちがっていたのは、気持ちそのものではなかったのかもしれません。
お互いに家族のことを考えている。できれば仲良くやっていきたいと思っている。
でも、その気持ちが相手に見える形になっていない。
だから、「わかってくれない」と感じる。

もしかすると、わかり合えないのではなく、まだ言っていないだけなのかもしれません。
そして、今回の座談会で語られたさまざまな家庭の工夫から見えてきたのは、「言葉にしたところから、関係は少しずつ動き始める」ということでした。

あなたの家には、まだ言葉になっていないことがありますか。


もっと、それぞれの家庭の話を読む

今回の記事では、女性編・男性編、2つの座談会で語られた声をもとに「すれちがい」を考えてみました。
一人ひとりの家庭には、ここでは紹介しきれなかったエピソードや、それぞれが試行錯誤して見つけた「わが家なりの答え」があります。

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